柳原三佳のブログ

交通事故・死因究明問題などを追及する柳原三佳からの情報発信。あるときはジャーナリスト、あるときはノンフィクション作家、でも、1日の大半はお料理と芝刈りが大好きな「主婦」してま~す!

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『巻子の言霊』の松尾さんが、テレビで取り上げられました

 『巻子の言霊』(柳原三佳著・講談社)の主人公である、富山の松尾さんご夫妻が、富山のテレビ局で取り上げられました。
 松尾さんも会員でいらっしゃる「交通事故被害者家族ネットワーク」の事務局のほうで、動画をアップしてくださったので、ぜひご覧くださいませ。

http://www.jiko-kazoku.com/video/matuo2012-5-11.wmv

 『巻子の言霊』は、発売されてからまもなく2年がたちますが、今年の夏にドキュメンタリードラマ化の予定があり、松尾さんともども、とっても楽しみにしています。

 今日は、ある方からつい先日届いた感想文をご紹介したいと思います。
 とっても長~いですが、ぜひ読んでみてください。
 そして、まだ『巻子の言霊』を読んでおられない方、ぜひ一度お読みくださいね!
 ご主人の松尾幸郎さんは、今、交通事故撲滅のために、富山県警の主催で学校などを中心に講演活動をされています。

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【「巻子の言霊」を読んで 】                  
                                                 以前より、柳原三佳さんの著作が交通事故に限定せず、その内容の本 質が、広く世に問う方向にも移行していくだろうと思い、また、そうあ るべきとも考えていましたので、「巻子の言霊」を読んだとき、松尾幸 郎さんとの出会いは、出会うべくして出会った、つまり必然であったと 感じました。本のタイトルに、ふだんの生活ではあまり使われない「言 霊」という単語が用いられたことも、やはり偶然ではなく必然性を感じ た次第です。

 今回、本の感想と言いつつも、多くの私見が入りましたが、その理由 は、「巻子の言霊」に、日本や先進国、更に言えば、現代の文明に生き る人たちが抱える問題が凝縮されているように思えてならなかったから です。

 とはいえ、松尾さんご夫妻の置かれた状況を考えると、軽々しく 私見を記すことに躊躇したことも事実で、そのため「巻子の言霊」に出 会い、その後「感想」をパソコンに記し始めてから1年数カ月が経過し
ました。ただ、月日の経過とともに、書きかけの「感想」を眺めると、 その都度、内容に手を加えましたので、時間の経過はマイナスばかりで はなかったかもしれません。

 さて、「巻子の言霊」を読み始めて、最初に思ったことがあります。
 それは、「生かすこと・生かされること」と「死んでいくこと、生きて いくこと」、そして、その向こう側にある「生まれて来た意味」です。
 現代の医療は、100年200年前に比べたら奇跡と言えるほ ど、多くの生命を救っていますが、一方で、事故などによって、生命が あっけなく消滅することは後を絶ちません。また、金品の絡んだ事件、 感情のもつれによる事件、紛争や国家間の戦争等々、「生命を奪う」行 為が繰り返されています。これらは「生かすこと」の逆の「生かさな い」ことですが、根底では「巻子の言霊」と無関係ではないと思います。

 また、事件でも事故でもありませんが、身近にも考えるべきことがあ
ります。
 生まれて来たばかりの人間の赤ん坊は、母親を含めて周囲の人間が手 を差し伸べなければ、すぐに死んでしまうでしょう。そのため人間は、 生まれて来たときから、他人の手によって「生かされて」いると言えま す。

 その後、成長していく過程でも、言葉から衣食住、人間関係に至るま で、本人以外の助けによって、はじめて生きる術を身につけます。そし て、大人になって働くようになっても、仕事は他人との関わり合いの中 で成立し、有形無形に助け、助けられを繰り返し、日々の生活を営むこ とが出来ます。また、現在の日本が直面している高齢化社会は、人間は 他人に助けられながら、人生を全うしていくことを伝えています。
 ごく当たり前ともいえる日常の向こう側にも、根底で「巻子の言霊」 に共通するテーマがあると思います。
 人間は誰しも、1人で生きてはいない、生かされているのではないだ ろうかと。

 もちろん「生かすこと」は医療現場にもあり、かつて海外でスパゲッ ティ症候群(患者がチューブだらけで延命されている状態を指した)と まで言われた延命治療は、その現場から是非が問われ、近ごろは高齢の 人が、延命治療の選択を元気なうちに証書に記しておくとのことで、 「生かすこと・生かされること」に、個人が自分なりに考えて、答えを 出しているとも言えます。
 延命治療をするかどうかの選択は、人生に絶望した自殺とは異なり、 それぞれの「人生のあり方」「生き方」かもしれません。

 これらさまざまな状況の向こう側には、常に人生の重要な問いかけが あります。それ故に、出来事は偶然起こるのではないともされ、その出 来事には大きな意味や価値があるともされますが、肉体を持って物質に 生きる人間の心情には、にわかに納得できないのも事実です。
 ただ、確かなことは、納得できないほどの状況であるほど、当事者は 崇高な人生の哲学者でもあることです。

 それは「巻子の言霊」の195ページ、幸郎さんの写真を拝見し たときに確信しました。人間の苦悩とともに、慈悲、慈愛が写真に溢れ るのは、松尾さんご夫妻が、互いの魂が傷つきながらも、互いに慈し み、魂の叫びに触れ合ったからこそ、人間が生まれながらに持ちなが ら、なかなか芽を出せない「生まれて来た意味」を体現し、写真を通じ て、人生の意味を問い、語りかけたのだと思います。

 私は無宗教ですが、幸郎さんの写真を拝見したとき、人間が菩薩に なって人間を救うという仏教の教えを、直感的に思い出しました。人間 には、想像もできないほどの潜在的な可能性があることを、ご夫妻が教 えてくれました。

 そして、その可能性を引き出したのは巻子さんであり、それは、本人の意思によってなされたものではないというのが当た り前の見方ですが、生命の輝きという視点でみれば、あまりにも愛おし い究極の生命の輝きのなせることであると思います。

 それが、幸郎さんの中にあった可能性に光をあてたように思えてなり ません。
 その輝きが結果的に、単なる言葉としてではなく「言霊」として、た くさんの人の魂に、優しさと厳しさをもって語りかけている気がしま す。それは、誰もが魂の奥にもっている「生まれて来た意味」の問いか けとなり、そして、物質中心の価値観と生活に流されるばかりの人間の 魂に、鋭い警告としても届きます。

 巻子さんが生死の境を彷徨った後、24時間365日の看護 を必要とし、それが生涯継続する状態の是非は、科学や医療が決して答 えを出せないものです。しかし、それは「巻子の言霊」という書物のか たちを借りて、「生きることの意味」をたくさんの人の心(魂)に問い 続け、自らが答えを模索するように語りかけています。
 それは是か非かというような単純なことではなく、夫婦や家族の苦難という現実の中で、「人間が生きること、生かされている」ということ に目を向けさせ、人間が生まれる前には、崇高な魂の目的を掲げていた のだと訴えるようにも聴こえます。

 ともすると宗教的な解釈もされやすい「生まれてきた意味」や「生き ることの意味」ですが、本来は誰にとっても重大な人生のテーマであり 道筋であり、あるいは民族や国の根幹をなし得るものですが、しかし現 代は、グローバル経済に代表される弱肉強食を基本とする物質的な価値 や効率、有形無形の「力」の前に駆逐されてしまい、その結果、果てし ない富や金銭の追求ばかりに、多くのエネルギーと人生の時間が費やさ れています。

 そのため、激しい競争に落伍した者は、孤立して人生の価値を見失 い、もし一切の逃げ場がなければ自殺に追い込まれるという状況です。

 また、ここ数年、携帯電話やパソコンが加速度的に普及しましたが、 これほど「他人と繋がると錯覚」させる商品も珍しいと思います。実際 には、携帯電話やパソコンを持ったからといって、他人とわかり合えた り、親密な友人や知人が増える筈もありませんが、身の回りにあふれる 「物質」に浸りきって、すでに「物質の中毒」のようになった人間、と りわけ若い人にとっては、精神的な支えや、心の拠りどころにすらなっ ています。

 このような状況にある人間が、物質ではない魂の問いかけに、あるい は聞く耳を持つことは難しいかもしれません。
 しかし、現代の文明は、人間が迷い、傲慢な状態を続けるほど、いよ いよ人間を追い詰めて行きます。

 携帯やパソコンへの過剰な依存、日本だけでも毎年3万人の自殺者、 信じられない理由で発生する交通事故、原発事故による放射能汚染と日本人の体内被曝、今も進行が止まらない2極分化、さらに加速する政治 家・官僚・財界・大手マスコミの腐敗、人間が人間として生きられなくなりつつある格差社会、大人から子供まで社会に蔓延するイジメ、競争 のための競争に疲弊してきた人々、何度でも繰り返す薬害 等々、きり がないほどです。
 人間は強くありません。にもかかわらず、文明あるいは経済は更に加 速され、しかも自分たちが、どこに向かっているのか考える余裕すらあ りません。

 これらに対して、「巻子の言霊」は科学の先端の一つである病室の中、そのベッドの上からパソコンを使いながら、けれどアナログ的な方法で、静かに語られています。たいへん失礼な表現ですが、その「語り
部」の使命を果たしているのが、巻子さんではないでしょうか。そしてその「演出家」が、ご主人の幸郎さんのような気がします。お二人は現代を彷徨う多くの魂に、忘れかけている「生きることの意味」を言霊で語りかけるという大きな役割を担っているように思えます。

 立場は違いますが、似たようなことを娘さんにも垣間みることが出来ます。
 「巻子の言霊」には、巻子さんの娘さんが、アメリカで陸軍士官学校を卒業したことが述べられています。その学校は、一言で言えば世界最大の軍事力を持つアメリカ軍(陸軍)の将校を養成する機関です。そこを日本人、しかも女性が卒業することは非常に稀なことだと思います。 娘さんの卒業後の進路はわかりませんが、アメリカ軍そのものは、戦後、世界でもっとも戦争や紛争をした当事者であり、世界最大の軍事力をもつ軍隊です。言い換えれば、人間を大量に、効率的に「殺す側」です。

 一方、巻子さんは、最高水準ともいえる医療によって、一命を取りとめたとはいえ、しかし決して手放しで喜べない状況です。そして、自分の意思だけではなく、周囲の賢明な看護によって「生かされる側」でもあります。
 つまり、巻子さんと娘さんは、同じ家族でありながら、関わった状況に天と地の違いがあります。

 病室では、幸郎さんにも巻子さんにも、「生きること」「生かすこと」「生かされること」が重要な問題ですが、(実際の娘さんは別としても)アメリカ軍のいる戦場では、兵士は生き残るために「殺すこと」
「生命を奪う」ことに目的が見出されます。
 病室と戦場の違いはありますが、そこに生きる人間にとって生と死は正面から向き合わざるを得ないものです。もし、さまざまな出来事を偶然ではなく必然と考えるならば、娘さんがアメリカ軍に関わったこと
は、「生きること、生かすことの意味」という「問いかけ」に対する答えを、娘さんの心の深層あるいは魂が、強烈に欲している証しなのかもしれません。

 そして、病院でも戦場でも、「人は何のために生まれて来たのか」と問い続けながら、しかし答えの出ない壁に行き当たるのではないでしょうか。その「壁」の存在に目を向けるどころか、見る余裕、気づく余裕すら失いつつある現代の人間は、このままいけば民族や国の滅亡に直面するような気がしてなりません。

 人間はなぜ生まれて来るのか。それとも生きること自体に、もともと意味などないのでしょうか。もし意味がないなら、死ぬことも自由、殺すことも自由ではないでしょうか。果たして、そうでしょうか。

・もし、死んですべてが無に帰すのであれば、人生は苦しみの方が多い筈ですから、間違いなく死んだほうが楽に違いありません。同様の理由で、自殺こそ最良の処世術  と言えます。
・しかし、自殺で不思議なことは、自殺する人は五体満足な人が多いことです。
・ニュース報道などによると、発展途上国や紛争地域では、栄養失調の子供も含めて、なぜか自殺は少なく、多くの人が懸命に生きようとしています。
・死んで無に帰すのであれば、あらゆる善行も悪行も無意味なので、やりたい放題に生きることが、最良の人生と言えます。なぜ、モラルや道徳を捨てないのでしょう。
・人間は、「悲しみ」が誘因となり病気になることはあっても、「悲し
み」そのものでは決して死なない(死ねない)のは、なぜでしょう。
・人間は簡単には死なない一方で、老若男女を問わず、ほんの一瞬の事故などで、あっけなく死んでしまうのは何故でしょう。
・事件、事故、災害、病気、戦争で生命を失った悲しみに、どんな違いがあるのでしょうか。
・生命とは何でしょう。地球や宇宙の活動は生命力に溢れ、同じ原子、分子で構成されているのに、なぜ生命とは呼べないのでしょうか。
・量子力学や物理学の半分は、この世界とは違う世界の可能性を認めているそうです。心あるいは魂の意味に、科学が少し近づいたのかもしれません。
・松尾幸郎さんは、巻子さんは、娘さんは、息子さんは、同じ人間なのに、なぜこんなに違う人生を歩み、けれど、家族という「絆」で結ばれているのでしょう。その「絆」は、不条理で合理性はないのに、人間はそれを求め、大切にするのは不思議な事実です。

 アメリカ軍がイラクやアフガニスタンの戦場で人間を殺している同じ時刻に、アメリカ国内では、医療の現場で消えかかっている生命を懸命に助けようとしている人たちがいる筈です。戦場で家族を失った悲し
み、病院で家族を失った悲しみに、どんな違いがあるのでしょうか。人間の生死は、誰が決めて良いのでしょう。他人が勝手に決めてよいのか、それとも、本人が決めるのでしょうか。

 いわゆる「幸せ」にしても、幸福と不幸は何が違って、どこが境界線なのでしょう。時代によっても、幸福と不幸は違うような気がしますし、物質的な幸せと、心の幸せは、必ずしも一致しないような気がします。

 もし、心から喜べた「時間」を幸せというなら、その時間の合計は、一生を足し算しても、それほど長くないと思えます。
 けれど、心あるいは魂の喜怒哀楽という感動は、生涯色褪せることもなく、生きた証しとして、次の世界にすら持っていけると思えるのは、果たして荒唐無稽でしょうか。人間は深層の無意識下で、別の世界を
知っているからこそ、たくさんの苦難に挑んでいるように思えるのは、果たして気のせいでしょうか。

 生きる意味も、生まれて来た意味も、答えが大事なのではなく、その問いかけに向き合うことが大切で尊いということを、巻子さんの言霊が語りかけているような気がしてなりません。 


 最後に、「巻子の言霊」の表紙にある、幸郎さんと巻子さんの写真を、あらためて拝見して思うことです。
 現代医療の視点からみたら、巻子さんは医療や家族に救われて、「生かされている」ことになるのでしょう。けれど、巻子さんが生きていてくれて、目の前にいてくれて、魂も人生も救われ生かされているのは、ご主人の松尾さんのように思えてなりません。本当に人を救うとは、こういうことかもしれません。

 巻子さんの苦労や苦悩は想像もできませんが、貴女のおかげで、ご主人が生かされているのは、紛れもない事実だと思います。そして、ご主人は(おそらく娘さんや息子さんも)、平穏だけであったなら決して到達できない人間の崇高な精神の開花すらも、実現させてもらったのではないでしょうか。いえ、正確には、家族の皆が一緒に開花させた、人生の宝物だと思います。それを絆と呼んだり、生きた証しと呼び、そのために人間は生まれて来るのかもしれません。
  1. 2012/05/19(土) 13:18:06|
  2. ミカの日記

プロフィール

柳原三佳

Author:柳原三佳
<ジャーナリスト・ノンフィクション作家>
交通事故、司法問題等をテーマに執筆や講演活動を行う。「週刊朝日」などに連載した告発ルポをきっかけに自賠責制度の大改定につながったことも。2004年からは死因究明問題の取材にも力を入れ、犯罪捜査の根幹に一石を投じてきた。著書に「家族のもとへ、あなたを帰す ~東日本大震災 歯科医師たちの身元究明」「遺品~あなたを失った代わりに」「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」「交通事故被害者は二度泣かされる」「自動車保険の落とし穴」「死因究明~葬られた真実」「焼かれる前に語れ」「交通事故鑑定人」「示談交渉人裏ファイル」「裁判官を信じるな」など多数。」「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」は、NHKでドキュメンタリードラマ化された。「実父を医療過誤で亡くし、自らも医療過誤被害を受けた経験があり、現在は医療問題にも精力的に取り組んでいる。千葉県在住。自宅の裏庭に、「古民家(長屋門)」を移築し、スローライフも楽しんでいる。
■柳原三佳のHP http://www.mika-y.com/

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